正しさの証明をしてくる人について(自分用)
非常に自分のためになると思うのでとあるサイト(ブログ)からメモをして記しておく。
とある時に自分の正しさを証明したい人についてふと知りたくなって色々調べてみた。
まず自分の正しさを証明したい人は相手に向き合わない、自分が正しいと思っている、またはそう思い込みたい、と思っているらしく話し合いというのをしてもこっちの意見を聞かないみたいだ。
簡単にいうと相手と向き合わないということ。
その相手に向き合わないということは心を開く勇気、相手の心と向き合う勇気、相手を受け入れる勇気、そして自分の正義は自分のだけのものだと受け入れる勇気。
相手の人格を認めるということだ。
だがここで悪だと思われているかもしれない正しさを証明してくる人は何故そうなってしまったのだろうか?一方的にその人を責め立てていいのだろうか?
昔ながらの原因論を取る心理学で考えると
その人の性格はその人の人生すなわち歴史を表している。
だから正しさの証明をしてくる人はそうせざる得ない過去があるのだと思われる。
その過去は辛く苦しく悲しい過去だったのかもしれない。
だから攻撃的な人には、そのような過去があったから、そのようなことをしているのかもしれない。
そう思うと相手に対して怒りなどではなく優しく接することができるのかもしれないからこういう風に考えるのは非常に大事だということがわかる。
だが正しさの証明をしたがる人は自分の世界を守りたいと思い攻撃しながら内心恐れている。
正論ばっかりで正しい解決策を考えていない。本人はそのことに気づきにくい。
会話は自分の有能さを誇示したり虚栄心を満たしたりするものではない。
自分が攻撃になってしまった時の考え方。
アドラー心理学にある目的論で考える。
自分はどういう風な人間でいたいのか。ぞの自分の目的は相手を傷つけてでも達成したい事なのか。
ここで大事なのは正しさの証明をしてくる人もその証明を聞く人もお互い相手のことを人として扱っているかどうかが重要になる。
まず人を批判する前に、自分がねぜ批判をしたいのかの自分の心のメカニズムを知るべきだ。
相手を心配して助けようとしているのか、それとも他人の利益になるのか、ただ自分の正しさを証明していい気分になりたいのか。などを良く考えることが大事で、そうしないと自分を見失う。
もし相手が攻撃(正しさの証明)してきたら相手の事を無関心になって受け流そう。
そうする事で自分の貴重な時間を相手に費やすことを減らすことができる。
この考えは非常に大事だということがわかった。
この考えすごいね。