ネットでの悪人叩きや色々な事について考えてみた。
Twitterなどでたまに悪人を叩いている人たちがいる。
このネット叩きは酷いもので中には住所特定して家に行き嫌がらせをするものや悪人というのを叩いて優越感に浸る者、時には自殺にまで追い込む者もいる。
今は正義中毒というものがありこの強すぎるせい正義感というのは正しいのだろうか?
確かに悪人を罰するのは必要だが、相手のことを必要以上に傷つけてしかもその悪人に対して罰する行為、暴言、暴力、利益(お金など)などが楽しかったり欲望のためにやっているなら俺はその悪人を罰している人の人格を疑う。
仏教には善因善果、悪因悪果、自因自果というのがある。
簡単にいうと自分の行いは自分に返ってくるということだ。
自因自果というなら確かに悪人が悪いことをしたからこうなったのだろう。
ただその悪い人を利用したり必要以上に相手の体、心などを傷つけるのは正しいのだろうか?
悪人が悪いことをしたから悪人は虐げられたりして心が傷つくのは自因自果とかなのだろう。
だがその悪人に対して必要以上に精神面やその人の環境などを追い詰めたり壊したりするのはどうなのかなと思う。それを正義だと信じ実行した結果、悪人が自殺したら正義の人たちはなんていうのだろう?
「だってあいつがあんなことするからじゃん」や「あいつが全部悪いんだよ」などをいうのだろう。
俺は以前にブログで書いたと思うけれど相手がどんな人であれ精神面で追い詰め自殺をしなきゃいけないような環境にし自殺させたならそれは殺人だと。
悪人が自殺を選ばなきゃいけなくなったのは悪人にも落ち度はあるが正義を振りかざす者たちが悪人を罰し
精神面で追い詰め自殺させたり心が壊れてしまったのならそれは正義を振りかざした者たちの責任でもあると思うのだ。それにもし悪人がそれで心が壊れ「もうどうでもいいや」などの気持ちになり更に悪いことしたら正義の者たちはどうするんだろう。その行いでもしまた誰かが傷ついても正義の者たちはまた「あいつが悪いんだ」と自分の行いでそうなっている事をわからないのだろうか。
それこそ正義の者たちの悪因悪果ではないのだろうか。
あるひとは本当に憎くて相手を罰する人。
またある人は相手のことを許せないけどお金欲しさに罰する人。
またまたある人は相手のことを許せはしないけど、相手を罰することでお金をもらえて喜び、相手のことを利用し自分、可愛そうアピールして自分は何も悪くない被害者ですというのをアピールする者。
↑で書いた中には本当は被害者にも落ち度がある場合や、被害者が本当は加害者という可能性もある。
本当怖く、恐ろしい世界だと思う。
こういうのが頻繁に起きているとは思ってない。むしろ頻繁に起きているのならそれこそ世の中を良くしようと行動しないと意味はないと思う。
悪人の人生を壊して楽しむ者や悪人を奴隷みたく使う者。
例えば戦争で勝ったのが善で負けたのが悪というのが当てはまると思う。
悪人だからといってこれらは果たして正しいのだろうか。
悪人を人として扱わずただの道具として扱うのは間違っていると思う。
相手は人で心がある。そのことを忘れたらもう個人的にダメだと思う。
だがここで大事なのは悪人がどれぐらいの悪さをしたのかを知ること。
悪の道に踏み外しすぎたのならもう救いはないと思うからだ。
こういう風に考えるけど悪いことしたらそれに相応しい罰はあった方がいいと思う。
自分で自分の行いを反省し改心する者はいるが人間全員がそうではないからである。
結論はネットで悪人を叩いて相手の心や体、環境などを壊し自殺に追いこむのは良くないということ。
というかそれはあなたがしなきゃいけないことなの?相手が死んでくれたり心が壊れるのを見て楽しいか?
と俺は思った。
自分は正義感が強い方なのだと思う。だからこれからも考え続ける。
多分正解なんてないのかもしれないけどね。